他にもいろいろやることがあるのですが…
お待たせしてしまってる方、もうちょっと待ってね_:(´ཀ`」 ∠):_
人形展では人形以外のものづくりをされる方とのお話の機会もあり、私とは違う作家目線での別の気付きや視点をいただいたり、また逆にあるある話に共感しあったりと楽しい交流もできました。
私は締切に追われるようにしか生きていないので、情熱を持ってものづくりされてる方の全力疾走とはまた違うわけなのですが、そういった方たちがいてそれぞれ別々の方から、やはり同じようなことをお聞きするわけです。
いくら自分が好きな分野でも全力疾走すると疲れる。
で、頭で思うままに突っ走るとバランスを崩してしまって、まとまった回復が必要になる。
チャージのために魔女宅のウルスラさんみたいに「何もしない(゚∀゚)」っていうような時間が必要になったりするのですって。あれはスランプに陥った時の話ですけども。
体を休めて、体力が回復したら次はハート(心)。
植物を世話したり、猫とお昼寝したり、ちょっとした自然の中お散歩したり。
大事な時間ですよね。
畑への定植を待つベランダの苗たち。
種まきしたものや購入したものいろいろ。
5月2日撮影
まぁそんな感じで。
今の私の場合は少し、家庭菜園方向へヒートアップ気味になっちゃったりして。
反省したりするのです。
GWに畑に植え付けしたきゅうりの苗ひとつ、成長を見守っているわけですが、夫がせっせと気にかけて支柱を立てたり誘引したり雑草を抜いたりしています。
これは去年のきゅうりですが
「どうやっても太陽の方向へ傾いちゃうなぁ」と言いながら、まっすぐ伸びてほしい夫(笑)
最近のことですが、畑に行ってすぐ確認したときに「後できゅうりを結び直さなくちゃ」と思って他の作業をしていたそうです。
で、やっときゅうりの作業に取り掛かろうとしたところ、きゅうりが自分で向き直っていてもう自分のツルでくるくるっとネットにからまっていたそうです。
「あれ?きゅうりするんじゃなかったの?」と言うと、「いや、なんか自分で戻ったみたい」と驚いていました。
生きてるねこの子(笑)という話をしていたのがつい先日。
私も昨日、畑に行ったときにきゅうりをチェックして、少し斜めになっているので「また夫くんに姿勢を正されちゃうよ(笑)こっちだよ」と、空中でプラプラしていたツルをネットの紐のところにかけてあげたんですが、風もあってすぐ外れるかもしれないと思っていたし、まだツルはゆるいカーブだったのに、1時間くらい後に見てみるともう紐をギュっと握っているのです。
ホントだ、早いね~~(^_^;)
そんなことがありました。
話はかぼちゃの話に移ります。
種を蒔きすぎて植えるところが無くて困っているかぼちゃの苗が4つ(2種類)あり、昨日から今日にかけて夫とアイデアを出し合い相談していたのですが、あーでもないこーでもないと少々揉めるところまで2回行きました。
間引きできなくて(間引きツライ(´Д⊂ヽ)定植待ちのままポットの中で苦しそうになっている子たち。
畑では早くも花を咲かせている仲間がいるのですが、スペース的に緑肥やタマネギの跡地しかなく、立体栽培をするかどうかという話にまでなっています。
そうすると手間もお金も必要です。ちょっと感情的になってケンカになっちゃいました。
2回めに揉めたときに「じゃあかぼちゃたん本人にどうなりたいか聞いてみる」と言ってかぼちゃの苗に少し触れながら聞いてみました。
植物がどうなりたいかなんてわかんないかな(^_^;)
とか少し思ったのですがw
植え付け予定地を頭に思い浮かべて「どうする?」と聞いたときに、とっても悲しいフィーリングが胸を訪れました。
私はてっきり「生きたいよ!」っていうのかと思ってました。
「生きたいよ!水がほしいよ!」って。
でも定植待ちのかぼちゃたんたちは自分たちのために私達がケンカしているのを見ていて悲しんでいるようでした。
生きたいとも言いづらい、でも生きるしかない苦しみを与えてしまっているとわかって、涙が出ました。
悲しみが強かったのですが、かぼちゃのやさしさが伝わってくるのでしばらく涙は止まりませんでした。
ベランダで育苗して畑に定植するプロセスは、自分が体験した中では「息子たちを保育園に預ける」という事と、とてもよく似ていました。
畑デビュー、保育園デビュー。
外の世界にデビューすることで、病気にもかかりやすくなりますし、虫の攻撃もあります。
そりゃもう心配です。
親子の関係に似てるなぁって、本当にそう思いました。
私達夫婦は、パパとママです。
両親が揉めている風景、私が一番よく知っている悲しみでした。
かぼちゃたちに「悲しまないで。ごめんね、もうケンカしないよ。君たちの畑への定植は決まりなんだよ(TдT)、だから生きて。もう少し待ってね。がんばってね。」
と伝えました。
植物とよく親しむ人は、たまに植物の気持ちがわかるとか、なんだか通じてるような気がする、という話をされます。
ほんとうだなぁ。
植物、よく聞いてますね。よく見てますね。
畑の先輩が「大きなタマネギいらんって言ったら今年は小さいのができた」って笑ってましたし、うちははじめてのタマネギ栽培なのですが「大きくなぁれ」って世話して収穫してみたら大きなものがゴロゴロ採れて「大成功ヽ(=´▽`=)ノ」←保存性は低くなるというのに
もしかしたらタマネギ、こっちの話聞いてるのかもねっていうのも感じていました。
プロやゴリゴリの家庭菜園セミプロ級からはなまっちょろいと思われるかもしれませんが、間引きツライですよね(;_;)
菜っ葉モノで少しずつ食べていけるものなら大丈夫なのですが。
元気がある将来有望な子だけが選ばれるなんて…
よし、おまいらまとめて世話するぜ( ;∀;)
とか、ちょっとなまっちょろいこと考えちゃうじゃないですか。時々手に負えなくなるのに。
手に負えないといえば、トマトなんて上手にコントロールできなくて、まるで自由奔放に走り回る犬にリードごと引きずられている飼い主のようですよ。(泣いてます)
間引きされる植物。(まぁ雑草の運命もシビアですが)
じゃあ種のまま終わる植物のじんせいはなんだろう?
そんなことをいろいろ考えてしまいます。
発芽のない状態と成長が止まって枯れる(死)は全然別物なんだな、と思いました。
その間には生きる、体験する、がある。
長くても、短くても。
硬い種からよいしょ!と生まれること
光を浴びること
雨に打たれること
風にふかれること
水を求めて根を張ること
虫に喰われること
花を咲かせること
実をつけること
人間と関わる植物たちは、そこに人間とのささやかな交流があるんですね。
ついつい日常に忙殺され忘れがちになってしまう次元の風景ですが、それに気づいた私達がとても大切にしなければならない世界なんだなぁって実感しました。
子供、ペット(動物)、植物、石など、自然に近いほど生命力というパワーにあふれていて、力づけてくれたり、癒やしてくれたりするのですね。
私側がお世話をすることで、交流が成り立つ。
あ、私達が内側に抱えるインナーチャイルドもそうかもしれませんね。
う~ん。忘れがちなんですが(^_^;)
忘れがちなのは致し方なしとして。
でももっとノイズを取り払って、それらの話を聞いて生活できたらいいなと思いました。
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